2015年4月28日火曜日

昭和のハット

17:45

記:わかめ


ファッションは10年でワンサイクルと言います
ミニスカートが流行ったり、ワンピース・ストレートジーンズ・ボタンダウン・トラッド・ハイソックス
肩パット・ハマトラ (← これご存知ですか 横浜トラッドの略だそうです)

昔、流行ったなぁというものを最近見掛けたり、昔着ていた服が大学生の娘のワードローブに
入っていたり・・。 確かに流行はクルクル回っています

だけど、ずっと変わらず流行り続けているものもあります
ある意味こだわりと言うのでしょうか・・ ずっと愛され続けているもの

しばらく考えましたが・・最初に浮かんだものは 「パナマハット」です!
スタッフwakaさんのお爺ちゃんの世代でも被られていたという パナマハット

まさに世代を超えて被り続けられる 名品ですね




「日本の現代の和」にもしっかりとフォローしています
というより、堂々としていて存在感あります!

この「パナマハット」に関しては、10年サイクルは無縁のような気がします♪

「時代を超えるパナマハット」 panamabo.com

2015年4月24日金曜日

昭和の心

21:33
昭和・戦後70年

私はスクールウォーズを知っていますよ!
イソップ~!ってね。



戦後70年と言っても私にはたいそうな話をする事は出来ない。

元々言葉数が少ない祖父。
ほんの少しだけ終戦間近の話を爺ちゃんと話をした事がある。
それは満州からの引き上げ時の話し。

引き上げの時に子供3人を1人で連れ帰った船内の様子でタタミ一畳に4人で乗って帰った話し。もし、その時0歳だった私の母親を置いてきていたら残留孤児で私は居なかったと二人で笑いながら話をした。

その爺ちゃんと一緒にハルピンに行った。
その旅行は当時の所属部隊の方々が集まり、戦後45年経って始めて彼の地に戻る?行く?事になった旅行に荷物持ちとしての参加だった。
皆さん高齢になっていた為、先の事も考慮しその様な話が持ち上がり企画されたのだと思う。
青春時代を過した皆さんと共に北京・大連・ハルピンを巡りその姿を見ていると言葉には表す事の出来ない気持ちになった事を今でも思い出す。
その場所で皆さんの顔、後姿を見て話を聞いていると、「これが本当の勉強だ」と感じた。

足が悪くなっていて普段はオボツカナイ足取りでいるのに、その時は身体を斜め45度にして早足、転びそうなくらいな速さで当時住んでいたであろう場所を探し回っていた・・・。
その姿を後ろから見ていたら自然と涙が出た。


もっと色々な話を聞いておけば良かった。と後から思ったが、私が聞いたとしても多くを語る事はしなかっただろう。


その気持ち、今は少しわかるようになった気がする。

waka

2015年4月21日火曜日

昭和の心 趣味

13:02
数日前にあったニュースで セウォール号(韓国で沈没した客船)を韓国の大統領が引き上げると言う報道をよんで 驚きました。先日 昭和の心のブログで戦艦武蔵の引き上げについて投稿がありましたが その時の実感よりも 考えさせられるものがありましたね・・・  引き上げには 109億円掛かるらしいです 109億円ですよ・・・   唯のゴミに・・・ (もしかすると物質的にはどなたか大金を持ってる人や アクセサリーがあるとしても 一億も行かないでしょ)・・・ 確かに 確かに9人の方は船内の何処かに取り残されているのかも知れないにせよ・・・ でも そう言うものでしょうか??? それよりも 109億 今この時点で地球上の生命の危機にさらされている人々や動物に費やされてもいいのではと思ってしまいます。その9人も それを望んでいるようにも思われますが・・ そうではないのでしょうかネ いくら政治的人気を保ちたくても それを国民のお金で引き上げる事が理想でしょうかネ~

お墓だって 3代も続けば なんだかの理由を付けてなくなって行ってるわけですし・・ 昔の人のお墓なんてよっぽどでないと残ってないのに??? 

話は変わって日本だけではないですが 塩を盛ったり 塩を掛けたりする習慣て 近づいて欲しくない事や物などにするらしいですね・・・ お葬式なんかでも必ず塩が付いてきますけど・・・ 今まで凄く仲良かった人も死んだ瞬間に塩で こないでなんて 言われちゃうんですからね。 死体は寂しいですね。 上の記事を読むと本当に死体に戻ってきて欲しいのかと疑問に思います。

ロンパールームは話題が濃すぎと言われているのにまたまたこんな事を書いて申し訳ありません。

スクールウォーズ 知らないぞ~ 

私の時代は 飛び出せ青春だった・・・ 酒井和歌子先生でした。 
きもったま 母さんも知ってるぞ !!

その時代一生懸命になっていたのが レコード観賞でしたね・・・ オーディオってやつですか いまやCDになり そして デジタル音楽に変わってしまいましたが いまとなっては 針とプラスチックで音をだす邪道な手法がどうしてあんなに流行ったのか?? それしかなかったからしよがなかったのですが あの時代は・・・

レコードプレヤーにアームって 一点で支えられていて少々 円の弧を描いて動くんですよね・・
弧を描くときに多少 張りが前にでたり後ろにでたり微妙にするんですよね・・要は真っ直ぐレコード盤の上を横切らないで 弧を描くんです。 それが どうも音に影響するとかなんとかで アームがスライドして横に動くプレーヤーが出たんですが それが結構高かったんです。でもいま考えると
恐ろしく無駄な 追求をしていると思ってしまいます。

現代のものもそう言った無駄な追及の形跡を残して次に進化していくのでしょうか??

次回は軽い話題にしま~す。 反省

ロンパールーム



2015年4月17日金曜日

昭和のラグビー

18:16
わかめさんの投稿をみて
芝生が羨ましいと思いました。

日本は芝生が少ないんですね。
日本にも芝生のグラウンドがたくさんあれば
オーストラリアまではいかないにしても
もっとラグビー人口が増えるかもしれません。


昭和時代のラグビーといえば


スクールウォーズではないでしょうか?

今ではこのような教師が生徒を殴ろうとしている画像だけでも問題になりそうですが。
学生の頃よく観ており、昭和の思い出のひとつです。

この「スクールウォーズ」は
ヒゲがカッコいい、昭和の後期に大活躍した
「平尾誠二選手」がモデルになっているんですね。
全く知りませんでした。

今年はラグビーワールドカップもありますし
2019年は日本でラグビーワールドカップの開催が決まっています。
これを機会に、日本も芝生がもっと増えれば嬉しいのですが。


daisuke



2015年4月14日火曜日

懐かしい昭和の香り

19:02
記:わかめ


シドニーに滞在している時、夜19:00頃散歩した
気候はちょうど暑くもなく寒くもない 風も無い静かな公園

そこでは、ラグビーの練習をしていたり
ジョギングをしていたりと

若者たちがそれぞれの趣味を楽しんでいた
昼間は暑い日が多いので、夜のスポーツが盛んなオーストラリア

と、同時に 見渡す限りの芝生芝生芝生・・・・そして十分すぎるくらいの木々たち
そこに佇んでいるだけで、自然と大きく深呼吸をしたくなるような

とても澄んだ綺麗な空気
木々や葉っぱのナチュラルな香り

森林浴とかそういうお洒落なものでもなんでもなく
ただ、芝生と木々たちが呼吸をしている空間

過呼吸になるくらい、お腹がいっぱいになる位に何度も何度も深呼吸をして
肺の中を一掃した 笑


いつだったかな
まだまだ周りはコンクリートの地面ではなく、PM2.5なんて汚染も無く
木々の息吹きと共に成長していた頃・・

そんな、小さな小さな昔の記憶が この日の深呼吸で見事に蘇った気がする
決して高価なものでもなく、人と比べるものでもなく、姿かたちがある訳ではないけれど

この「懐かしい昭和の香り」を、想い出せて 今夜はと~~っても贅沢な気分♪








2015年4月10日金曜日

五感で感じる事

20:32
昭和の心



見えないものが見えるようになった経験があります。
(幽霊などの話ではありません・・・。)

 それは「風が見えるようになった」事。

以前 子供達のヨットのお手伝いで毎週日曜日に海の上に出て数年経った時、ヨットがどういうものなのかが少しわかったのと同時に本来は目には見えない海上を吹く「風」が見えるという経験をしたという事でした。
人間の五感を使い 経験を積むと、いままで見えないものでも見えるのだとあらため感動したのを覚えています。(見えるという表現はおかしいのかな~)




子供の頃(昭和の時代)はそんな事を考えずにいても(五感をフル活用して遊んでいたので)色々な物が見えていたのだと思いますが、いつからか自分の目線が変わって見えていたモノが見えなくなっているのだと思います・・・。

考えてみると「風」以外でも植物と年月を共にした時には植物の声が聞こえるようになり、動物と接していれば動物の考えがわかるようになる。

なるべく「目線を変えて見る」事を意識しながら生活しよう。
そう思いながらも一方向の見方になってしまうのですが・・・。

特にこの頃 物忘れが激しいので(昔からだと声が聞こえますが・・・。)

もう一度様々な事に目を向けて行きたいとあらためて考え直す今日この頃です。

2015年4月7日火曜日

昭和生まれ

16:22
前回のグリコのおまけの件ですが・・・
恐らく 両親が親心で密かに100円を入れておいてくれたんじゃないでしょうか?とても信じがたい投稿です。一度 グリコの企画室でも問合せしたら真実が判明するかもしれませんね~ わたしは
いまから20年まえぐらいですか カップうどんの 掻揚げの中にゴキブリが確りと美味しそうに揚がるいた事を覚えていますが その時代そんなに騒ぐ場所がなかったというか そんなもんだろうと思っていましたが 現代ではそうでもないようですね・・・

今日は昭和生まれの年代を調べました 昭和元年 89歳 から 64年 26歳らしいですね・・・ 以外に驚いたのは26歳よりあとの人は昭和生まれでない?以外に昭和の世代も減退期に差し掛かっているんだなと思いました。 あと 4年もすれば皆 30歳以上ですよね・・・ 

最近 インターネット 個人の情報を記入するときなど 以前は 選ぶ欄に自然に自分の生年月日がでていましたが 最近では 偉くスクロールダウンして探さないと 自分の年が出てこなくなってしまった事に 【やっぱり 年寄りの年代に確実に入っていると】実感するしだいです。



さて 昭和の時代の代表とはいえないとはおもいますが  どうしても未だに未練が残るのがラジコン飛行機 この歳になっても いつか飛ばしてやろうと思っています。休みの日に青い空に飛ぶラジコン飛行機があこがれでした。その頃は お金もなく(今もないですが) 高嶺の花の存在でしたが最近は プラスチックのキットもだいぶ安くなっているようです。逆に飛ばす広場が見つかり難く
い世の中ですが・・・

2015年4月3日金曜日

泥警 警泥

19:11
昭和の遊び
「泥警」「警泥」

フィンガーファイブ 懐かしいですねー。
ヘアースタイルはその時々で流行りがあるので
パッと見たときになんとなくいつ頃の時代の人かがわかって楽しいです。

グリコの「みんなに笑顔を届けたい。」
いいですねー。素晴らしいフレーズです。

ドッジボール懐かしいです。
小学校のとき夢中になって遊びました。

昭和の遊びでは
「泥警」が大好きでした。
「警泥」とも呼ばれますが、どちらでも同じですね。

この泥警で、ワカメさんのように
スイッチが入ったことがあります。

小学校3年生のときだったと思うのですが
僕が警察で、泥棒の2年年上の5年生の泥棒役の阿部くんを追いかけました。
30分くらい追いかけた末に、阿部くんが疲れて座り込み
僕は捕まえることができました。

年上で背も高く、何をやっても全くかなわなかった阿部くんに
走り勝ってしまったのです。

これがきっかけで自信がついた僕は
相手が誰であろうと簡単にあきらめることはなくなりました。

阿部くんは今どこにいるのでしょう。


daisuke


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